本記事では、五代目 柳家小さんの略歴やエピソード、得意としたネタを紹介します。
柳家小さんの略歴
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- 1915年1月2日:長野県長野市で誕生。本名は「小林 盛夫」。
- 1918年頃:一家で東京府浅草に移住。
- 1931年頃:高等小学校を卒業後、法律事務所の事務員として働き始める。
- 1933年:事務所の方に寄席に連れて行かれたことがきっかけで落語に興味を持ち始め、四代目 柳家小さんに入門。「柳家栗之助」と名付けられる。
- 1936年:徴兵されて、陸軍に入隊。
- 1939年:除隊して、落語会に復帰。このタイミングで二つ目に昇進し、「柳家小きん」を名乗る。
- 1943年:赤紙が届き、ベトナムで兵役を勤める。
- 1946年:終戦後は中国軍の捕虜になっていたが、無事に帰国。
- 1947年:真打に昇進。「九代目 柳家小三治」を名乗る。同年、師匠の四代目 小さんが亡くなったため、八代目 桂文楽の預かり弟子となる。
- 1950年:「五代目 柳家小さん」を襲名。
- 1962年:芸術祭賞を受賞。
- 1972年:落語協会の会長に就任。
- 1978年:落語協会分裂騒動が起こる。
- 1980年:紫綬褒章を受章。
- 1995年:落語家初の人間国宝になる。
- 2002年5月16日:心不全のため、87歳で病没。
柳家小さんのエピソード
- 東京都豊島区目白に住んでいたことから、「目白の師匠」と呼ばれる。
- 前座時代の「栗之助」の名前の由来は、「栗に似てるから」。
- 入隊した陸軍の部隊は、1936年2月26日に「二・二六事件」を起こす。小さんは、計画を知らさせておらず、指揮官に命じられて、指揮を高めるため、「子ほめ」を演じた。
- 学生時代は剣道部副将で、東京の大会で優勝した経験も持つ。
- そばをすする仕草に定評があり、実生活でそばを食べるときには周りの目を気にして、あまり汁をつけなかった。しかし、晩年には「汁をたっぷり付けてみたかった」と言ったらしい。
柳家小さんが得意としたネタ
- 粗忽長屋
- ろくろ首
- かぼちゃ屋
- 長短
- 時そば など
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