「私、昨夜ここで死んだそうで……ちっとも知らなかったんです。勘弁してください」
「粗忽長屋」のあらすじ

あるとき、八五郎が浅草の観音様にお参りに行くと、門のところに、人が集まっていました。
なんだい、この人だかりは?
行き倒れがあったんだよ。
どこの誰だか分からずに、困ってるんだ。
へー。
あんた、この亡骸の顔に見覚えはないかい?
……あっ!
こいつは熊五郎だよ!!
知り合いか?
知ってるも何も、隣同士で住んでる兄弟分なんだ!!
そうかい。
なにはともあれ、身元がわかってよかったよ。
この人、奥さんは?
いないよ。独り者なんだ。
そしたら、親御さんは?
親どころか、親族さえ一人もいない。
可哀想な奴でねぇ……俺だけが頼りなんだ。
なら、お前さん。
この亡骸を、引き取ってくれないかい?
もちろんだ!

でもね、俺よりもっと適任がいるよ。
ほう、それは誰だい?
当人だよ。
当人?
うん。当人。
……え、どういうこと?
いやね。
俺が今朝、「一緒にお参りに行こう」って誘ったら、熊五郎は「体の調子が良くねぇ」って断ったんだ。
だから、あいつは今も、家で休んでるはずだよ。
今朝、その人に会ったのかい?
そう言ってるだろ!
じゃあ、別人だ。
この行き倒れは、昨夜から、ここに転がってるんだもの。
昨夜から……?
ああ。
そんなのおかしいじゃねえか!!
俺は今朝、熊五郎に会ったんだから!!
そう、おかしいんだ。
あのね、あんた。もう少し落ち着いてくれよ。
友達がこんなんなって、落ち着いてられるか!!
いつまでもこのままじゃ可哀想だから、俺が当人を連れてきて引き取らせるって、言ってるんじゃねえか!!
だから当人は、ここで死んじまってるだろ?
どうして、家に当人がいるんだよ?
あいつは普段から、ぼーっとした奴なんだ!
死んだことに気付かないで、家に帰っててもおかしくねぇ!
いや、そんなわけ……
いいから、ちょっと待っててくれ!
すぐに熊五郎の奴を連れてくるからよ!

八五郎は、急いで自分の長屋に戻ります。

おい、熊ぁ!
大変だ、大変だ!
ああ、八つぁんかい。
そんなに慌てて、どうしたんだ?
いいか、落ち着いて聞けよ?
なんだよ?
お前な……死んだよ。
……へ?
どういうこと?
まぁ、戸惑うのも無理ねぇわな。
あのな、俺がさっき浅草の観音様に行ったら、行き倒れがあったんだ。
それで、その顔を覗いたらよぉ……お前だったんだよ!
ええっ⁉︎
でも、俺は、まだ死んだような心地はしないぞ?
そりゃそうだよ。
お前、死んだのは初めてだろう?
最初はみんな、「死んだ気がしねぇ」って言うもんなんだ。
で、でも……。
「でも」じゃねぇ!諦めろよ!
死んだんだ、お前は!
本当に死んだのか、俺は。
そう言ってるだろ!
……でも、どうして?
どうしてって……。
死んだのは昨夜と聞いたが……お前、何してたんだ?
昨日なら、吉原に行った帰りに、屋台で酒をしこたま飲んだ。
そこで食べたイカが悪かったのかなぁ。
気持ち悪くなって、吐いたところまでは覚えてるんだが、その後どうやって帰ってきたか……。
それだ!
お前はイカに当たって、帰り道で死んじまったんだよ!
そうなのか?
そうなんだよ!
そうかぁ……。
俺は死んだのか……。
死んじまったんだよぅ……。
悲しいなぁ。泣けてくるなぁ。

俺だって悲しいよ!

でもな、泣いてばかりじゃいられねぇんだ。
さぁ、行くぞ!
行くって、どこへ?
遺体を引き取りに行くんだよ!!
誰の?
お前のだよ!!
いつまでも、外に転がしておくわけにはいかないだろ!
でもなぁ……。
今更、「この死体は私のです。昨日、ここに忘れたんです」なんて言うのは決まりが悪いよ。
決まりが悪くたって、仕方ねぇだろ!
大丈夫だ。俺も一緒に行ってやるから。
ほら、行くぞ!

こうして、八五郎は熊五郎を連れて、行き倒れの場所まで戻ってきます。
お待たせしました!
また来たよ……。
おい、熊。早くこっちに来い。
このおじさんにはな、お前の亡骸が迷惑をかけたんだ。
ちゃんと挨拶しな。
この度は、どうもすみませんでした。
私、昨夜ここで死んだそうで……。
ちっとも知らなかったんです。勘弁してください。

おいおいおい、おかしな奴がもう一人増えちゃったよ!
あんたが、行き倒れの当人なの?
……はい。
じゃあ、もっと近くに寄って、亡骸の顔を見てやってよ。
いや、いいです。
自分の死に顔を見るなんて、気味が悪いんで……。
そう言わずに見てみなさい。
見たら、良いことに気付くだろうから。
良いこと?
じゃあ、ちょっと失礼して……。

おや?
こいつ、本当に俺か?
そうそう。もっとよく見なさ……
おい、熊ぁ!!
なに往生際の悪いこと抜かしてるんだ!!
だって、八つぁん。
こいつの顔、なんだか俺のより、だいぶ長いみたいだ。
そりゃあ、一晩中ここに転がってたんだ!
顔くらい伸びるよ!
そういうもんかねぇ……。
おいおい、しっかりしろよ!!
自分の顔もわからなくなっちまったのか!
だから俺は、毎朝、顔を洗って髭を剃れって、あれほど言ってたんだ!
それとこれと、何の関係があるんだよ?
髭を剃ってりゃ、鏡を見るだろ?
そうやって毎日、自分の顔を見てたら、どこで自分に会ったって、「ああ、あれは俺だな」ってわかるようになる。
俺はちゃんと毎朝、鏡を見てるから、道で俺に会ったときには、すぐに気付くぞ!
なるほどな。
この俺が、こいつはお前だって言ってるんだから、こいつはお前なんだよ!
こいつは、俺かぁ……。
お前だよ!
俺なのかぁ。
お前だ!
俺だ!
うわー、俺ー!
こんな姿になっちまって……。

俺も悲しいよぉ。

熊。こいつを抱き上げてやれ。
うん。

なあ、俺よ。こんなに冷たくなっちゃって……。
俺がちゃんと弔ってやるからな。
……。
どうしたんだ?
いや、なんだか、よくわからなくなってきちゃって……。
なにが?
今、俺に抱かれてるこいつは、たしかに俺なんだが……。
「こいつを抱いてる俺は、誰なんだ?」
ー完ー
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