「この金をやらないと、お前は死んじまうんだ!死んだら、何にもならねえ!だから、お前にこの金をやるんだよ!」
「文七元結(ぶんしちもっとい)」のあらすじ

この話の主人公は、左官の長兵衛。
職人としての腕は確かなのですが、最近は博打に熱中して、まったく仕事をしていません。
物語は、そんな彼が、今日も博打に負けて着物まで取られ、ふんどしに法被(はっぴ)一枚で家に帰ってくるところから始まります。
おう、今帰ったよ。
なんだい、法被一枚で。
また博打に負けたんだろ?
……うるせえな。
もう、いい加減にしなよ!
俺だって、負けようと思って負けてるんじゃねえんだ!
お前さんが、そんなんだから……お久は出ていったよ。
出ていったぁ?
あいつも年頃なんだから、男でもできて、どっかに泊まってるんじゃ……。
あの子は、私の娘だよ?
そんなことする子じゃないよ……。
……よく探したのか?
ああ。お前さんが博打をやってる間にね。
でも、どこを探してもいないんだよ!
そこへ、吉原の妓楼「佐野鎚(さのづち)」から、若い衆が訪ねてきます。
ごめんください。
おっと、誰だい?
お久しぶりです。
佐野鎚の藤助です。
やあ、藤助どんか!
なにか用か?
女将さんが、「ちょいと話がある」と言ってるんで、一緒に来てもらえませんか?
あー、それがね……。
今ちょっと、取り込み中なんだ。
もしかして、娘さんのことですか?
ん?どうして、わかる?
お宅の娘さん、うちの店に来てますよ。
ええっ⁉︎
女将さんは、そのことでお話がしたいそうです。
……わかった。
おい、おっかあ!
お久が見つかったよ!
よかった……。
でも、どうして吉原に?
……わからねえ。
ちょっと今から、その店の女将さんに会ってくるからよ。
お前の着物を貸してくれ。
嫌だよ。
俺に法被一枚で吉原を歩けっていうのか?
いいから、さっさと貸しやがれ!
そう言って、無理矢理、着ているものを奥さんと交換した長兵衛。
藤助に連れられて、佐野鎚までやってきます。

女将さん、連れてきました。
ご苦労様。
すまないけど、お久さん以外は、外しておくれ。
こうして部屋には、長兵衛・女将さん・お久の3人だけが残りました。
長兵衛さん。お久しぶりだね。
ええ。ご無沙汰してます。
この子を知ってるだろう?
もちろん。うちの娘ですから。
この子はね、さっき、うちに来たんだ。
はじめ挨拶されたときは、わからなかったけど、「左官の長兵衛の娘です」と言われて、ピンときたよ。
お前さんが、うちの蔵の仕事をしてた頃、よくお弁当を持ってきてくれてた子だね?
ああ、そんなこともありました。
あの時から、「将来は、綺麗な娘になるだろう」と思ってたけど、私の目に狂いはなかったねぇ。
でね、この子が言うんだよ。
「ここのところ、お父つぁんが博打ばかりして、始末がつきません」って。
……。
「借金を返すために博打をして、また借金を作って帰ってきます」
「でも、借金さえ返せれば、お父つぁんの道楽は止まるはずなんです」
「だから、お父つぁんの借金を返すために、この店で私をお金に換えてもらえませんか?」って、この子は私に訴えてきたんだよ。
バカやろう……みんな喋っちまいやがって……。
どうすんの?長兵衛さん。
この子、うちで働かせていいの?
それは……。
お前さんは腕がいいんだ。
博打なんか今すぐやめて、また左官の仕事をすれば、なんとかなるんじゃないの?
それが……仕事道具は質に入れちまったし、色んなとこに借金してるから、どこにも顔向けできなくて……。
何やってんだよ。
そしたら、私が一度だけ面倒を見てやろうか?
いいんですか?
ああ。
いくらあれば、また左官の仕事ができるんだい?
50両もあれば、なんとか……。
わかった。
女将さんは近くの棚から財布を取り出して、長兵衛に差し出します。

ここに50両入ってる。
ただ、これはお前さんにあげるんじゃない。貸すだけだよ?
ええ。もちろん返します。
いつになったら、返せるんだい?
そりゃ、来月には……。
気取ってるんじゃないよ。
来月に返せるくらいなら、もともと苦労なんかするかい。
正直に言いなよ。
えーと……年が明けて、桜が咲いて、雨が降って、夏が来て……。
おいおい、「来月」から、ずいぶん延びていくねぇ。
……いいよ。
そしたら、来年の大晦日まで待ってあげる。
いいんですか?
ああ。
ただし、金を返してもらうまでの間は、この子をうちの店で預かるよ。
えっ⁉︎
話は最後まで聞きな。
預かるって言っても、店で働かせるわけじゃない。
私の身の回りの用事をしてもらうだけ。
うちに居れば、芸事の稽古もできるし、お前さんの家より良い暮らしができるはずだ。
そりゃあ、もちろん。
だけどね。来年の大晦日までにお金を持って来られなかったら、私は鬼になるよ。
この子を、女郎として店に出す。
それが嫌なら、この話は無しだけど……どうする?
お借りします。必ず返しにきます。
ああ。それでいい。
さあ、持っていきな。
ありがとうございます。
あの……お父つぁん!
ああ、お久……。
すまねえなぁ……。
ううん。
私が居ない間、おっかさんを大事にしてあげてね。
……ああ。わかってるよ。
娘と涙の別れを告げた長兵衛は、貰った50両を懐に入れて、家に帰っていきます。

すると、その道中で、橋から若い男が飛び降りようとしているところに遭遇しました。
おい!ちょっと待て!
離してください!
力づくで、男を橋の欄干から引き離した長兵衛。
つまらないことをするんじゃねえ!
どうぞ、助けると思って、死なせてください……。
助けたり死なせたり、いっぺんにできるか!
何があったんだよ?
あなたには関係ないでしょう?
いいから、ワケを話してみろよ。
女関係か?それとも、博打か?
そんなんじゃないですよ!
じゃあ、なんだ?
……お金を盗られちゃったんです。
いくら?
……50両。
へ?ご、50両……?
どうして、そんな大金を持ってたんだ?
今日は、うちの店の掛け金を取りに行ってたんです。
その帰り道で、私にぶつかってきた奴がいたから、念のため懐に手を入れて確認したら、預かった50両が無くなってて……。
それで、自分の店の旦那に申し訳なくて、死んでお詫びしようってか。
……はい。
そんなら、死ぬんじゃなくて、親類に頼って50両を工面してもらうって手もあるじゃねえか。
私には、親や親戚が一人もいないんです。
今の店の旦那が唯一の遠い親戚で、そこで小さい頃から育ててもらってて……。
……そうかい。
じゃあ、50両なんて、どうやっても工面できないから、死んで詫びようってわけか。
ええ。
そういうことなんで、どうか私に構わず行ってください!
そう言われてもなぁ……。
50両ないと、お前は死んじまうのか……。
……。

わかったよ!俺がお前に50両やる!
……へ?
お前今、こんな粗末な着物を着た俺が、50両なんて大金、持ってないと思っただろ?
い、いや……。
そのとおりだよ!
俺はなぁ、博打のせいで滅茶苦茶な生活をしてんだ!
でもな……俺は滅茶苦茶だけど……俺の娘はしっかりしてんだよ!
俺のことを見るに見かねて、「佐野鎚」って吉原の店に身を沈めて、俺が更生するための金を拵えてくれたんだ!
その金が今ここにあるから、それをお前にやるんだよ!
そんなお金、貰えるわけないじゃないですか!
バカやろう!
50両なきゃ、お前は死ぬんだろ?
この金をお前にやったって、別に俺は死なねえし、かかあも死なねえ!
娘は……この金がないと、あいつは女郎として店に出ることになるが……それでも、死にはしねえ!
だが、この金をやらないと、お前は死んじまうんだ!
死んだら、何にもならねえ!
だから、お前にこの金をやるんだよ!
そう叫んだ長兵衛は、持っていた財布を男に向かって投げつけると、そのまま走って立ち去ってしまいました。

さて、場面は変わって、先ほどの若い男の勤め先である、鼈甲(べっこう)問屋の「近江屋」。
まったく……文七は何をやってるんだ!
ただいま帰りました。
やっと帰ってきた!
番頭さん、遅くなってすみません。
旦那は心配で寝てないんだぞ?
ちょっと私に付いてきなさい。
◆
旦那。文七が戻りました。
そうか。
ずいぶん遅かったじゃないか。
すみません。
それで、取りにいった50両は?
こちらです。

……ん?持ってるのかい?
……?
は、はい……。
文七、よく聞きなさい。
私は普段から、「囲碁が好きなのはいいが、ほどほどにしときなさい」と言い聞かせてるね?
今日も、掛け金を取りに行ったときに、お店の方と囲碁を打ってきたらしいじゃないか。
え?どうして、それを?
さっき、その店の人が来て、教えてくれたんだよ。
ただ、もっと重要なのはね……。
囲碁をしてるうちに、あたりが暗くなったことに焦ったお前は、急いで外に飛び出したから、預かった50両をそこに置いてきたらしいじゃないか。
えっ⁉︎
お前が忘れてきた50両なら、店の人が届けてくれたから、すでに私の手元にある。
それなのに……お前が今、懐から出した50両は、一体どこから持ってきたんだ?
ここで文七は、先ほど橋であった出来事を旦那に話します。

なんと、50両をくださった方がいるのか!
その方は、どこの誰なんだ?
それが……わからないんです。
ええっ⁉︎
名前を聞く前に、走り去ってしまったので……。
そりゃあ困ったな……。
番頭さん。なんとか、その方を探せないかね?
うーん……手掛かりが少ないので、なんとも……。
文七。その方の娘さんが預けられてる、吉原の店の名前は覚えてないか?
えーっと……。
あそこで一番有名な店は、「角海老」だが……。
そんな名前じゃありませんでした。
じゃあ、松葉屋は?
違います。
あとは……三浦屋、尾張屋、金瓶大黒、佐野鎚……。
あ、佐野鎚です!
そうか!
旦那。店の名前がわかったので、そこから文七にお金をくれた方の素性が調べられますよ!
それはいいけど、お前はやけに吉原のことに詳しいね?
あ、いや、それは……。
まぁいい。
じゃあ、文七はもう寝なさい。
はい。
……番頭さんには、ちょっと話があります。
さて、その翌朝。
番頭さんの調べによって、文七にお金をくれたのは、左官の長兵衛だということがわかります。
そこで、近江屋の主人は、文七を引き連れて、長兵衛の家を訪ねることにしました。

いい加減にしてくれよ!
お前は、昨夜から一睡もさせてくれないじゃねえか!
寝てる場合かい!
女将さんから貰ったお金はどうしたんだよ!
だから、あげちゃったんだ!
誰に?
知らない奴だよ!
そんなこと言って、本当は博打に使ったんだろ?
ちげえよ!
昨日から、何度も同じことを……。
ごめんください。
おい、誰か来たよ。
お前、法被一枚なんだから、そこの衝立の裏に隠れときな。
◆
……はいはい!
手前は、近江屋善兵衛と申します。
長兵衛親方のお宅はこちらですか?
親方かどうかは知りませんが、長兵衛はあっしです。
おい、文七。
この方で間違いないか?
はい!
親方、この男に見覚えはありませんか?
んん?
……あ、お前は昨日の!
昨夜は、危ないところを助けていただきまして、ありがとうございました。
実は、この者が盗られたと思っていたお金は、もとの店に忘れてきただけだったのです。
ええっ⁉︎
そこで本日は、親方からいただきました50両を返しに上がりました。
そうですか……。
でもね、こちとら江戸っ子だ。
一度あげた金を返してもらうなんざ……。
いえ、これは親方に納めていただかなければいけないお金です。
どうか、受け取ってください。
いやいや、それは受け取れ……おい、引っ張るなよ!
?
あ、いや……なんだか、衝立の裏から引っ張られた気がして……。
……。
わかったよ、貰いますよ。
有難う存じます。
でもね、これは俺があなた方にやった金を返してもらったんじゃない!
あなた方が、好きで俺に金をくれたんだ!
そういうことでいいね?
もちろんでございます。
今回のことで、手前どもはこの文七に、「商売」こそ教えてきましたが、「人間」というのを教えてこなかったのを痛感しました。
そこで、親方。こいつの「親代わり」になってはいただけませんか?
は?親代わり?
それと併せて、手前どもの店と親類付き合いをしていただけないでしょうか?
いやいや、あなた方とあっしとじゃあ、身分が違うよ!
あっしは世の中のことは知らねえし、字だって読めねえし……。
いえ。親方には、そういう世間で言う学問とは、違う学問があります。
ですので、ぜひ、お引き受けのほどを……。
……仕方ねえなぁ。わかったよ。
ありがとうございます!
それでは、さっそく内祝いを……。
おーい、お酒を持ってきなさい!

おや、これは結構な酒だね!
あとは……肴も持ってきなさい!
いや、肴なんていいよ。
あっしは酒だけで十分だ。
まあまあ、そう言わずに。
近江屋の旦那が外に声を掛けると、立派な駕籠が長兵衛の家の前に止まりました。
すると、その中から、綺麗な着物を着て、化粧を施されたお久が出てきます。
お父つぁん。
このおじさんが、店にお金を払って、私を引き取ってくれたの。
ああ……そんなことまで……。
どうもありがとうございます。
そこへ、今まで衝立の裏に隠れていた奥さんも飛び出してきました。
お久!お帰りなさい!
おい、お前!
法被一枚で、人前に出てくるんじゃねえよ!
そう言いながらも、親子3人は抱き合って泣きました。

さて、この出来事が縁になって、文七とお久は結婚し、小間物屋を開きます。
そこで売り出した「元結」が、たいそう評判になって、店は大繁盛したそうで。
情けは他人のためならず。「文七元結」という一席でした。
ー完ー
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「元結」とは?
元結(もとゆい)は、髪を束ねるときに使う紐のこと。
画像出典:「お江戸ファッション図鑑」撫子凛,マール社,2021,p.33
噺のタイトルになっている「文七元結」は実在する商品で、従来のものよりも丈夫で、ツヤがあったといいます。
「文七元結」の豆知識
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