本記事では、八代目 桂文楽の略歴やエピソードを紹介します。

桂文楽の略歴

  • 1892年11月3日:青森県五所川原町で誕生。本名は「並河益義(なみかわ ますよし)」。
  • 1894年:父親の転勤で、東京下谷根岸に引っ越す。
  • 1901年頃:父親が亡くなったことがきっかけで、横浜のハッカ問屋で奉公を始める。その後は、奉公先を転々とすることに。
  • 1908年:初代 桂小南のもとに入門。「桂小莚(こえん)」を名乗る。ただし、小南は上方落語の演じ手だったことから、稽古は三代目 三遊亭圓馬にしてもらう。
  • 1910年:二つ目に昇進。
  • 1911年:師匠の小南が大阪に帰ったため、三遊亭圓都の一座に加わり、「三遊亭小圓都」を名乗って旅回りを始める。
  • 1916年:東京に戻り、七代目 翁家さん馬の弟子に。「翁家さん生」を名乗る。
  • 1917年:さん馬と決別し、「睦会」を立ち上げた5代目 柳亭左楽に師事する。
  • 同年:真打に昇進。「翁家馬之助」を名乗る。
  • 1920年:「8代目 桂文楽」を襲名。
  • 1938年:落語協会に加入する。
  • 1954年:落語家では初となる、文部省芸術祭賞を受賞。
  • 1955年:落語協会の会長に就任。
  • 1964年:落語家では初となる、紫綬褒章を受章。
  • 1971年8月31日:登場人物の名前が出なくなり、「勉強し直して参ります」と言い残して高座を降りる。これが最後の高座となった。
  • 1971年12月21日:肝硬変のため、79歳で亡くなる。

桂文楽のエピソード

  • 今の御徒町駅の西側あたりにあたる「黒門町」に住んでいた。
  • 居宅の場所から、「黒門町(くろもんちょう)」「黒門町の師匠」「黒門町の文楽」と呼ばれた。
  • 高座の座布団に座ると、「毎度のお運びでございまして、ありがたく御礼を申し上げます。間に挟まりまして、相変わらず、お馴染みのお笑いを申し上げます」と言ってから、まくらに入るのが常だった。
  • 芸事にのめり込むようになったきっかけは、16歳のときに聴いた、四代目 橘家圓喬の「牡丹灯籠」。
  • 三遊亭圓馬の稽古は大変に厳しく、文楽(当時は小莚)に「声の大きさ」から「羊羹を食べる仕草」「枝豆・そら豆・甘納豆の食べ分け」を丁寧に教えた。
  • 圓馬は、文楽が「えー」と言い淀む癖を治すため、「えー」というたびに、おはじきを投げつけて矯正した。
  • 圓馬の指導により、言い淀みが少なく、一言一句練り上げられた高座が特徴になった。
  • 三遊亭圓都の一座との旅回りでは、京都・大阪・神戸、さらには満州まで出向いた。
  • 「8代目 桂文楽」を襲名した際は、左楽が5代目 桂文楽から名前を取り上げるかたちだったため、非難を浴びた。
  • 「5代目」から「8代目」に飛んでいるのは、左楽が「末広がりで縁起がいい」と考えたため。
  • 橘右近に、寄席文字の家元として流派を作ることを勧めた。
  • 引退のきっかけになった高座で演じていたのは、「大仏餅」。

桂文楽が得意としたネタ

  • 明烏
  • 富久
  • 愛宕山
  • 寝床
  • 鰻の幇間
  • 心眼
  • 按摩の炬燵

特に「明烏」で甘納豆を食べるシーンを演じた後は、寄席の売店で甘納豆が売り切れたという逸話もある。

同時代の落語家は文楽に遠慮して、「明烏」は演じなかったという。

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