のっけから他の本のことを言うのもアレだと思うのですが、この間、漫画喫茶で『呪術廻戦』を読みました。
その中で主人公の上司というか先輩というかにあたる人が、こんな事を言ってたんです。
「小さな絶望の積み重ねが人を大人にする」
もしこの言葉が正しいなら、著者の岡本さんはかなり熟成された大人だといえそうです。
本書には、岡本さんが今まで味わってきたちょっぴり不運なエピソードが、短歌とともにいくつも登場します。
例えば、お友達と一緒にサラダバーのあるレストランへ行ったとき、岡本さんは誰に言われるでもなくみんなの荷物番をするそう。
しかし、席に戻ってきたご友人達からは特に感謝されるでもありません。
むしろ「え?サラダ取りに行かないの?」と、不思議がられてしまいます。
そんなときでも岡本さんは、恩着せがましくならないように「いや、後でにしようかと思って」なんて言ってお茶を濁すんだとか。
このエピソードから生まれたのが、本書のタイトルにもなっている
全員がサラダバーに行ってる時に全部のカバン見てる役割
という歌です。
これを読んだとき、「あぁ、大人な人だなぁ」と思う反面、「損な役回りだなぁ」とも感じてしまいました。
そう。いい人って、何かとこういう「ちょっとした不幸」を引き寄せがちなんですよね。
何を隠そう僕も岡本さんサイドの人間なので、とっても共感できます。
誰かと待ち合わせをしたらいつだって「待つ側」だし、お店で注文したのと違うメニューが運ばれてきても黙って食べてしまう。
そしてこんなに「いい人」でいるのに、意中の人からは「どうでもいい人」なんて思われちゃったり。
もしかしたら、岡本さんや僕みたいな人たちは、もっとジコチューになったほうが生きやすいのかもしれません。
でも、30年以上も自分をやってると、今さら生き方を変えるのも難しい。
だから、もういっそのこと全部あきらめちゃうのもいいのかなぁ、なんて思ったり。
「諦める」なんて言葉を使うと、一見ネガティブな印象を受けるでしょうか。
でも、ちょっと漢字をいじって「明らめる」と変換すれば「真実を見極めて悟る」という意味があるそうです。
身の回りに起きるちょっとした不幸も、「大人になるためのステップ」だと受け入れられれば、案外生きやすくなるかもしれない。
この本を読んで、そんなことを考えました。