「終わり良ければ全てよし」
僕はこの言葉を「結果さえ良ければ、過程は割とどうでもいい」という意味だと思っていた。
しかし、この本を読んで、それは間違いであったと気づいた。
良い終わりを迎えるためには、そこまでの道のりこそが大事なのだ。
『20歳のソウル』の主人公は、千葉県にある市立船橋高校の卒業生である浅野大義さん。
彼は在学中、野球部の応援曲「市船soul」を作り、この曲は今でも後輩たちによって演奏され続けている。
仲間や恩師に恵まれ、順風満帆に見えた人生。
しかし、高校卒業から僅か2年後、大義さんは肺がんにより20歳という若さで亡くなってしまう。
これは彼が音楽と出会い、市船の吹奏楽部に入り、そしてこの世から去るまでを描いた物語だ。
この本を読んで際立っていたのは、大義さんの「優しさ」だった。
彼は家族を、仲間を、恩師を、そして恋人を心の底から大切にしていた。
そんな彼だったからこそ、告別式には700名を超える弔問客が訪れ、彼のために最後の演奏をしようと164名もの吹奏楽部OBが集まったのだろう。
大義さんが亡くなったことはあまりにも悲しいし、人の死に対して「良い」という形容詞は使うべきではないかもしれない。
それでも、あえて言いたい。
大勢の方に見守られながら旅立った彼は、「良い終わり」を迎えられたのではないだろうか。
これも彼が生前、周りの人たちを大切にしていたからこそだと思う。
やはり、良い締めくくりを迎えるためには、そこまでの道のりこそが大事なのだ。
しかし、ここでふと立ち止まって考えてみる。
彼の人生は、本当に「終わった」のだろうか。
確かに大義さんは、もうこの世界にはいない。
しかし、彼は残された人たちの記憶の中で今なお生き続ける。
そして彼が残した「市船soul」という曲もまた、これからたくさんの選手たちの背中を押していくだろう。
そう考えると、大義さんの人生は、まだ終わっていないのではないか。
そして、何もこれは、彼が特別な人だから言えることではないのかもしれない。
この僕でさえ、いつか死んだ後に、ふと誰かが思い出してくれることもあるだろう。
あるいは僕の残した「何か」が、誰かに影響を与え続ける可能性だってある。
そう。誰にとっても、人生に終わりなんてないのだ。
誰かの記憶に残り、自分の残したものがある限り、人は生き続ける。
だから、「終わり良ければ全てよし」なんて悠長なことを言ってる場合ではない。
自分の周りにいてくれる人を大切にすること。
そして、後世に残す何かを作りあげること。
こういったことに「今」、力いっぱい取り組まなければいけないんだ。
この本を読んで、そんなことを考えた。