太宰の幼少期を語るうえでは、絶対に外すことのできない、2人の女性がいるんだ。
へぇー。どんな女性か、気になるな。
太宰治の幼少時代を語るうえで、叔母の「津島きゑ(キエ)」と子守り役の「越野タケ」という2人の女性の存在は欠かせません。
そこで本記事では、きゑとタケについて、詳しく見ていきます。
なお、記事中の年齢はすべて「数え年」での表記です。現在、一般的な「満年齢」に直したい場合は、1歳差し引いて考えてください。
生まれた時点で「1歳」とし、以降、正月を迎えるたびに1歳ずつ加える、年齢の数え方。
太宰治の叔母「きゑ」
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.5
津島きゑは、1879年(明治12年)に太宰の祖父 津島惣五郎と、祖母 いしの次女として生まれました。

彼女の6つ上の姉は、太宰の母 たねのため、太宰から見ると「叔母」にあたります。
きゑは18歳のときに、太宰の父 源右衛門の実の弟である、松木友三郎を婿養子に迎え、「りえ」と「ふみ」という二人の女の子を授かりました。
しかし、友三郎には酒乱の悪癖があり、酒を飲むと、きゑに暴力をふるうことも。
しだいに津島家との関係が悪化した友三郎は、家長の源右衛門から離婚を申し渡されてしまいます。
その後、きゑは青森市の豊田家から「常吉」を婿養子に迎え、「キヌ」「テイ」の二人の女の子を出産。
この常吉は実直な男でしたが、27歳の若さで、病気のため亡くなってしまいます。
こうして、4人の娘を一人で育てることになった彼女は、源右衛門が大豪邸を建てたのをきっかけに、津島家との同居を始めました。
▼きゑが住んでいた津島家の邸宅

そこへ誕生したのが、のちに太宰治となる、津島修治です。
当時、修治の母のたねは、体調があまり良くなかったため、修治には乳母が付けられましたが、この乳母は再婚のため、1年足らずで津島家を去ることに。
その乳母に代わって、修治の面倒を見ることになったのが、きゑでした。
修治は小学生の頃に書いた『僕の幼時』という作文で、きゑのことを以下のように描写しています。
物心地がついてからといふものは叔母にかゝつたものだ。叔母はよく夏の夜など蚊帳の中で添へ寝しながら昔話を知らせたものだ。僕はおとなしく叔母の出ない乳首をくはいながら聞いて居た。
引用:『僕の幼時』津島修治
きゑは、修治にやさしく昔話をしてくれるだけではなく、時には厳しく躾もしてくれました。
ワンパクだった修治がすぐ上の姉をいじめると、きゑは修治をキツく叱って、土蔵に閉じ込めることもあったといいます。
太宰治の教育係「タケ」
▼70代半ばになった頃のタケ
出典:『図説 太宰治』日本近代文学館,筑摩書房,2000,p.178
タケは、1898年(明治31年)に、太宰と同じ青森県の金木村で、近村家の四女として生まれます。
ちなみに、このタケの名前は「越野タケ」として一般的に知られていますが、「越野」は嫁入り後の性で、もともとの名は「近村タケ」でした。
タケは15歳のとき、きゑの専任の女中として、津島家に住み込みを始めます。
そこで、きゑから命じられた仕事が「修治(太宰治)の子守り」でした。
当時の修治は4歳だったため、二人の年の差は11歳です。
太宰はのちに、『思い出』という作品で、タケのことを以下のように振り返っています。
私がたけといふ女中から本を讀むことを教へられ二人で樣々の本を讀み合つた。たけは私の教育に夢中であつた。私は病身だつたので、寢ながらたくさん本を讀んだ。讀む本がなくなればたけは村の日曜學校などから子供の本をどしどし借りて來て私に讀ませた。私は默讀することを覺えてゐたので、いくら本を讀んでも疲れないのだ。たけは又、私に道徳を教へた。お寺へ屡々連れて行つて、地獄極樂の御繪掛地を見せて説明した。
引用:『思い出』太宰治
タケは、本の読み方を教えたり、一緒に寺へ行って地獄図を見せたりと、修治のことを熱心に教育しました。
▼修治がタケに連れられて見に行った、雲祥寺の地獄極楽の御絵掛地
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.10
また、前述の『僕の幼時』という作文では、「修治が、きゑに怒られて土蔵に閉じ込められると、タケが代わりに謝ってくれた」というエピソードも語られています。
きゑとタケとの別れ
きゑとタケによって、大切に育てられた修治。
しかし、1916年(大正5年)、修治が8歳のとき、彼らは離ればなれになってしまいます。
別れのきっかけとなったのは、きゑの娘「りえ」夫妻でした。
前年に長女が誕生したこともあってか、りえの夫は隣町の五所川原で歯科医院を開業することに。きゑも、りえ夫妻に付いて行くことに決めました。
これによって、きゑの専任の女中だったタケも、五所川原へと同行します。
尋常小学校への入学を間近に控えていた修治は、一度は一緒に五所川原まで行ったものの、2ヵ月ほどで実家へ逆戻り。
こうして、3人は袂を分かちました。
その後、タケは21歳で、津軽半島の最北端にある小泊村で金物屋を営む、越野家に嫁いでいます。
▼タケが嫁いだ小泊村の場所
まとめ
本記事では、「津島きゑ」と「越野タケ」の2人について、詳しく見てきました。
なお、きゑとタケに育てられた太宰の幼少期については、下記の記事でもお伝えしています。ご興味のある方は、併せてご覧ください。
また、記事を執筆するにあたっては、以下の書籍を参考にしました。
- 『評伝 太宰治〈上・下〉』相馬正一.津軽書房,1995
- 『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治.新潮社,1983
- 『太宰治の年譜』山内祥史.大修館書店,2012
- 『太宰治大事典』志村有弘・渡部芳紀.勉誠出版,2005
それぞれの書籍の概要については下記の記事にまとめています。
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