太宰治

角力|『人間失格』と共通点のある作品

この『角力』という作品は、太宰の最高傑作と言われることも多い『人間失格』と、とある共通点があるんだ。

へぇー。どんな共通点だか、気になるなぁ。

『角力(すもう)』は、太宰治が中学3年生のときに発表した作品です。

本記事では、『角力』の全文をお見せした後、あらすじや執筆背景、注目ポイントなどをお伝えします。

なお、本作は新潮文庫の『地図―初期作品集―』という著作集に収録されています。

読んでみたい方は、ぜひ下記からお買い求めください。

書名:地図―初期作品集―
著者:太宰治
出版社:新潮社(新潮文庫刊)

『角力』の全文

 誠二は快活に「案外弱いナア」と言った。勿論それは角力で見事兄を負かした自分の強さを表現する一つの手段に過ぎなかった。

 誠二は兄に勝ったという喜びよりも、今の勝負を見て居る自分の友達の中で自分を常々そんなに強くない――寧ろ弱い――と思って居る友達がどんなにか「誠二は此頃メッキリ強くなった」ということに驚いて居るだろう。と思うてさえも微笑を禁ずることが出来なかった。

 誠二は何気なくホントに何気なく、自分に負けた兄の方を見た。おひとよしの兄は誠二を見てニヤニヤ笑いながら「負けたナア、ウム見ん事負けた、サアこんどからは誠ちゃんがえばるによいナ、羨ましいナア」と高くしゃべってカラカラ笑った。誠二はニッコリともしなかった。誠二は淋しくなったからだ。誠二は兄のさっきの言葉を聞いて居るうちに、その兄の言葉のどこかに淋しさのあるのを知った。又その笑声もあきらかにウソの笑声であることも知った、それらを知った時に誠二は急に淋しくなったのだ。そしてそれは兄に対して済まない心からの淋しさではなかった。それと全然反対の自分が頼みがいのない兄を持ったという淋しさなのだ。

 兄が自分より弱い、そして自分に負けてベソをかいて居るよ。誠二はヤケに似た心嘲罵の心も起きて来た。併し彼の淋しさはだんだん深くなるばかりだ、頼みがいの無い兄、たった一人でもいい自分をつまみ出せるような強い兄を持ちたい。彼はこんなことまで真面目に考えて見るようになった。

 誠二はこの間兄が村はずれの源太に手ひどくたたかれて泣きはらしたような眼をして紫にはれ上った頬を押えて父母に見つからぬように家の裏口からコッソリ入って来たイヤな光景を思い浮べずには居られなかった。兄がこんなだから僕迄友達に馬鹿にされるのだ。自分より弱い兄を持って居ることは誠二の自尊心を傷つけるものだと考えたりした。

 アア僕の兄が自分に勝って呉れたら。

 アア僕の兄に自分が負けたら…………誠二は自分より強い兄を要求する心から兄より弱い自分を要求する心に変って行ったのは無理もないことである。

 誠二はこの弱い兄を自分より強くするのは到底不可能だと思った。併し自分は兄より弱くなるのはあながち不可能な事ではないと思われた。

 「もう一回兄と角力をとろう。そして自分は立派に兄に勝をゆずろう」誠二はそう決心したのはそれからホンの少したってからのことであった。

 誠二のその決心は頼みがいのない兄を持った自分の淋しさを癒そうとの考えからで決して兄が負けたから、こんどは自分が負けて兄の気持を悪くしたくないからでも又兄に勝って失礼したのをおわびしたいからでもなかった。「兄さんもう一回やって見ましょう」と何気なく誠二は言ったつもりであったろうが、その声にはなんとも言えぬ鋭さがあったのは争われぬことだ。

 兄は「もうごめんだよ、若いものは勝に乗じて何回もやりたがるものだナア」とおかしみたっぷりに言った。誠二にはその言葉が又この上なく皮肉に聞えたのであった。ムットして「何でもいいからやりましょう」と鋭く言った、兄も流石に真顔になって「それじゃあ! やろう」と云って立ち上った。あたりで見て居た誠二の友達はどっちが勝ってもいいような様子をして戯謔を言え言え、二人に声援をして居た。誠二が兄と取組んでからは殆んど夢中と言ってよい位であった。ただ膝頭がガクガク震えて居るのばかりが彼にはハッキリわかって居た。それでも「もういいだろう」という事が夢中になって居る誠二の頭に浮んで来た。誠二はワザとゴロリと横になった。それは自分ながら驚く程自然にころんだのだ。友達はこの意外な勝負を見てワッとばかり叫んだ、それは兄をほめる歓声でなかった。

 誠二を罵る叫びだった。兄は得意そうに微笑んで居た。そうしてたおれて居る誠二の脚を彼の足先で一寸つついた。

 誠二はだまって立ち上った。彼の友達はがやがや騒ぎだした、中にはこんな声もまじってあった。「そら見ろい、あの通り誠ちゃんが負けるんだよ、誠ちゃんの兄さんがわざとさっきは負けてやったんだよ、誠ちゃんが泣くといけないからナ」「そうだとも一回で止めとけばよかったに、勝ったもんだから癖にして又やったらこの始末さアハハハハハハハハハハハ」誠二はだまってこの話声を聞いて居た、誠二の心はこんどは淋しさを通りこして、取り返しのつかない侮辱を受けて無念でたまらないような気がしてならなかった、兄の方を見た、兄はまだ喜んで居るようだ。誠二は兄のその喜んで居る様子を見てもチッとも嬉しくはならなかった。自分にだまされて勝って喜んで居る兄を見て増々頼みがいの無い兄だと云うなさけない思いがして来た。

 アア負けねばよかった。又勝ってやればよかった。誠二には深い後悔の念が堪えられない程わき出たのであった。

 もう友達は大分彼の家から帰って行った。兄も誠二の部屋から去った、誠二は後悔の念に満ちた心を持って部屋の窓から空を見上げた。どんより曇った灰色の空は低く大地を包んで居た。風もなかった。誠二には太陽の光もない様に思われた。

 誠二の肩をたたくものがある、信ちゃんであった。誠二のたった一人のホントの友達の信ちゃんであった。信ちゃんは快活に「今の勝負。あれア君がわざと負けたのじゃないか」と言った。誠二はこれを聞いて嬉しくって嬉しくってたまらなかった。そして自分をホントに知ってて呉れる人は信ちゃんであると思った。誠二は急に顔に微笑を浮べて信ちゃんの手を固くにぎりだまって頭を縦に振って見せた。信ちゃんは大得意になって「そうだろう、なんだかおかしいと思った。あんなにたやすく兄さんに負けはしまいと僕は思って居たんだ。だがなぜ兄さんに勝たせたんだい」と聞いた。それを聞いて誠二はハッとしたようにしてだんだん暗い顔色になって来た。

 やや沈黙が続いた後信ちゃんはトンキョウな声を上げて「ハハアわかった、誠ちゃん君えらいネ、兄さんに赤恥をかかせまいと思って負けたんだネ、そうだろう」と叫ぶように言った。誠二はそれに対して「ソウダ」と言うことがどうしても出来なかったのは無論である。

『角力』のあらすじ

友達たちが取り囲むなかで兄と相撲を取り、見事に勝利を収めた誠二。

しかし、誠二は兄に勝ったことで、「喜び」よりもむしろ「淋しさ」を強く感じていた。

その淋しさは、兄への同情からくるものではない。

「自分は頼り甲斐のない兄を持った」という事実に対する淋しさだった。

「ああ、兄が自分に勝ってくれたら」

ここで誠二は、とある名案を思いつく。

それは、もう一度兄と相撲を取って、今度はわざと負けることだった。

「お兄さん、もう一回やってみましょう」

さっそく取り組みを始めると、誠二は頃合いを見て、わざと横に転がる。

我ながら、それは驚くほど自然な転がり方だった。

これを周りで見ていた誠二の友達たちは歓声を上げ、なかには「最初の取り組みは、お兄さんがわざと負けてやったんだよ」と言い出す者も。

誠二がチラと兄の顔を見ると、満更でもなさそうに喜んでいた。

それを見た誠二は、ちっとも嬉しいと思えず、むしろ「頼り甲斐のない兄だ」という思いを強くする。

その後、兄とほとんどの友達がいなくなってから、誠二は親友の信ちゃんに声をかけられた。

「今の勝負、あれは君がわざと負けたんじゃないか」

この言葉を聞いた誠二は、嬉しくて嬉しくてたまらなくなり、信ちゃんの手を握って、黙って首を縦に振った。

しかし、「なぜ、兄さんに勝たせたんだい?」と信ちゃんから聞かれると、誠二の顔色は暗くなる。

やや沈黙が続いた後、信ちゃんに「兄さんに恥をかかせないために、負けたんだろう」と言われた誠二は、「そうだ」と返すことがどうしてもできなかった。

『角力』が執筆された背景

角力』は、太宰が中学3年生(数え年で17歳)のときに、青森中学校の「校友会誌」で発表された作品です。

このときの筆名は、本名の「津島修治」をもじった「辻魔首氏」でした。

『角力』の登場人物

  • 誠二:本作の主人公。「誠二」の名前は、太宰の本名である津島「修治」をもじっているものと思われる。
  • 兄:誠二の兄。
  • 信ちゃん:誠二の親友。

なお、『角力』の登場人物の名前は、およそ2週間後に発表された『犠牲』という作品と共通しています。

『犠牲』について詳しく知りたい方は、下記の記事をご覧ください。

『角力』における注目ポイント

ポイント1. 兄より弟のほうが優れている?

この作品では、主人公の誠二が兄のことを頼りなく感じています。

これはもしかしたら、当時の太宰が、兄たちに抱いていた感情を表しているのかもしれません。

『角力』を発表したときの太宰は中学生。この頃の太宰は成績が超優秀で、学年のトップ争いをするほどでした。

一方で、兄たちの中学生時代を見てみると、長男の文治は農学校へ進学、次男の英治と三男の圭治は、授業についていけずに東京の私立中学へ転校しています。

「学力」の面で比較すると、太宰は兄たちよりも優秀だったと言わざるを得ません。

そんな兄たちを見て、太宰は「兄弟では自分が一番優れている」と、密かに思っていた可能性は高いです。

ポイント2.『人間失格』との共通点

本作では、兄との相撲でわざと負けたことを友人に見透かされるシーンがありますが、これと同じような構図は『人間失格』にも登場します

 その日、体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁きました。
 「ワザ。ワザ」

『人間失格』太宰治

ただし、今作の『角力』の場合は、自分の真意を理解してくれた(と思った)親友に対して嬉しさを感じている一方、『人間失格』のほうでは、自分の道化がバレて震撼しています。

同じような描写を何回もしていることを考えると、もしかしたら、太宰は実際に友達から、自分がわざとしたことを見透かされた経験があるのかもしれません。

『角力』の考察

『角力』の最後のシーンで、誠二は親友の信ちゃんから「今の勝負、あれは君がわざと負けたんじゃないか」と声をかけてもらい、最初は嬉しくてたまらなくなりました。

しかし、続いて「なぜ、兄さんに勝たせたんだい?」と聞かれた途端、誠二はだんだん顔色を暗くします。

その理由はおそらく、親友だと思っていた信ちゃんでも、自分の考えの深いところまでは理解してくれていなかったことに落胆したからです。

誠二は「兄が、弟である自分に負けたら可哀想」だから、わざと負けたのではありません。

自分に負けてしまうほど、頼りない兄を持ってしまった自分に淋しさを覚えた」ため、兄に勝ってほしくて、わざと負けました。

これをわかっていなかった信ちゃんに、誠二はガッカリしたのだと思われます。

このため、「兄さんに恥をかかせないために、負けたんだろう」と、勘違いして理解したようになっている信ちゃんに対して、誠二は何も返すことができませんでした。

まとめ

本記事では、『角力』のあらすじや執筆背景、注目ポイントなどを紹介しました。

なお、『角力』はすでに著作権が切れているため、記事のなかで全文を掲載しましたが、紙で読みたい方は、新潮文庫の『地図―初期作品集―』でご覧いただけます。

よろしければ、下記から購入して読んでみてください。

書名:地図―初期作品集―
著者:太宰治
出版社:新潮社(新潮文庫刊)
目次:
最後の太閤
戯曲 虚勢
角力
犠牲
地図
負けぎらいト敗北ト
私のシゴト
針医の圭樹

将軍
哄笑に至る
口紅
モナコ小景
怪談
掌劇 名君
股をくぐる
彼等と其のいとしき母
此の夫婦
鈴打
哀蚊
花火
虎徹宵話
  *
断崖の錯覚
あさましきもの
律子と貞子
赤心
貨幣
  *
洋之助の気焔

なお、記事を執筆するにあたっては、以下の書籍を参考にしました。

それぞれの書籍の概要については下記の記事にまとめていますので、ご興味のある方は、併せてご覧ください。

太宰治グッズ、販売中!

SUZURI

オリジナルグッズ販売サイト「SUZIRI」で、太宰治の作品をモチーフにしたTシャツやキーホルダーなどを販売しています。

ご興味のある方は、ぜひ下記のボタンからチェックしてみてください!

太宰治のグッズを見てみる

▼実物はこんな感じです。