『無限奈落』は、太宰治が高校生の頃に書いた作品です。
本記事では、この『無限奈落』が執筆された背景やあらすじ、注目ポイントなどをお伝えします。
『無限奈落』が執筆された背景
『無限奈落』は、太宰治が高校2年生(数え年で20歳)のときに、自らが中心となって立ち上げた、「細胞文藝」という同人雑誌の創刊号から連載を始めた作品です。
▼「細胞文藝」創刊号
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.50
紙面に掲載された際の筆名は、本名「津島修治」をもじった「辻島衆二」でした。
高校生になった太宰は、入学当初は勉学に励んでいましたが、芥川の自殺が報じられたことをきっかけに、文学へ傾倒し始めます。
「細胞文藝」はその流れで、太宰が創作を発表する場として、創刊されました。
こうして連載が始まった『無限奈落』でしたが、太宰いわく「ある意外な障害に出会い」、わずか第2回で中断されています。
これはおそらく、本作が太宰の実家である「津島家」の暗部を告発するような内容だったことから、長男の文治からストップがかかったものと考えられます。
第2回が掲載された「細胞文藝 六月罵倒号」は散逸してしまっているため、現在では、創刊号に掲載された「序編 父の妾宅」しか読むことができません。
『無限奈落』のあらすじ
現在残っている『無限奈落』の「序編 父の妾宅」は、6つの章に別れています。ここでは、章ごとの内容を見ていきます。
一 寝付けない乾治
「“女は必ず淫猥である”というようなことを、ラ・ロシュフコーが言っていたっけ」
ラ・ロシュフコーは、多くの娼婦と接してこんなことを言ったのではなく、彼自身の周りにいた貴族の婦人たちと接して、こんな言葉を叫び出したのだろう、と乾治は思った。
彼は今、とある温泉宿の一室で布団に入り、眠りにつこうとしている。
しかし、目を瞑っていてもなかなか眠れず、隣でひっそり話している従姉(いとこ)と、その友達の年増の芸者の会話に耳を傾けていた。
彼女たちは、乾治の実家である「大村家」の噂話をしている。
話を聞くに、どうやら二人は、乾治の父ですでに亡くなっている周太郎と、“関係”を持っていたようだ。
この話を盗み聞きしていた乾治は、性欲を刺激され、その体を火照らせていた。
二 性への目覚め
乾治は、M町一の大金持ちである大村周太郎の四男。
美男が揃う兄弟のなか、自分の顔だけが醜いことがコンプレックスだった。
その醜い容姿が原因で、乾治は両親や祖母からは、邪険に扱われてきたという。
こうして乾治はひねくれた性格になり、幼い時から人の顔色を読むようになっていた。
そんな乾治は、容姿のハンディキャップを克服すべく、学問に精を出す。
子どもの頃から読書に親しみ、父や兄たちの本棚から手当たりしだいに本を取り出してきては、それらを読み耽った。
こうして乾治は、小学校で先生たちから「神童」と呼ばれるようになる。
一方で彼は、この読書によって、はやくから“性”に目覚めており、父の百科事典を読んで、男女の生殖器の構造を暗記していたほどだった。
しかし、乾治の「性への目覚め」が早かったのには、彼が6、7歳の頃より、家の使用人たちから露骨な性教育を受けていたことも関係している。
彼はよく、使用人たちのいる部屋へ行って、遊んでもらっていた。
女中さんの部屋では、暴君のように振る舞い、彼女たちの上に馬乗りになって、部屋の中をグルグル回らせたりしていた。
しかし、女中さんたちは、この乾治の振る舞いに腹を立てず、むしろ彼に“男”を感じていたという。
この部屋で、乾治がどのような性教育を受けていたのかは、人々の想像に任せたほうが良いかもしれない。
一方で、男性の使用人たちの部屋では、乾治は彼らの淫猥な会話を目を輝かせながら聞いていた。
そんな彼が8歳だった秋に、ある事件が起こる。
その日、乾治は学校から帰ってすぐに、例の男の使用人たちの部屋へ行くと、そこでは金公と浅公が2人で春画を眺めていた。
乾治もそこに加わり、しばらく一緒に話をしていると、金公がおもむろに部屋から出ていく。
実は金公は、昼飯どきに薪を取りに行く女中さんと、納屋の中で毎日、逢引をしていた。
そのことを知っていた浅公は、金公と女中さんが会っているところを、乾治に見せてやろうと思いつく。
こうして浅公は乾治を納屋まで連れて行き、節穴から二人の男女の“行為”を覗かせた。
乾治は体を震わせ、呼吸を荒げながら、ソレに見入っている。
この壮絶な光景を目の当たりにした浅公は、今更ながら、自らの犯した罪に戦慄し、乾治の腕を強くつかむと、何も言わずに畑のほうへ引っ張っていった。
これに乾治は叫びながら抵抗し、浅公の手をガリガリ引っ掻く。
その後、やっと腕を離してもらった乾治は、名残惜しそうに納屋のほうを背伸びして眺めていた。
このとき浅公は、乾治に軽蔑の念を抱いた。
「浅ましい奴だ。この色ガキめ。恥を知れ、恥を」
ちょうどそのとき、空が暗くなって、時雨がばらばらと降り始めたのだった。
三 女性への興味
乾治が小学2年生の頃、家の近くに曲芸団の小屋ができたため、彼は使用人を連れて、毎日のように曲芸を見に行った。
彼は、その曲芸に登場する猿たちに興味を持ち、猿のいる楽屋を覗いては、そこで無遠慮に行われている交尾を眺めていた。
しかし、乾治が猿たちに興味を持っていたのには、もう1つ、要因がある。
それは、猿の面倒を見ていた女性に惹かれたこと。
30歳を少し超えたであろう彼女は、中背で痩せており、目に凄みのある女性だった。
あるとき、乾治がいつものように猿の楽屋を眺めていると、その女性は猿にバナナをあげていた。
ここで乾治は、1匹の弱々しいメスの猿がバナナをもらい損ねていることに気が付く。
そこで彼は、「おばさん、あの小さいのは、まだもらってないぞ」と吃りながら指摘したところ、彼女は静かに振り返って「病気なの」と答えた。
ニッと笑って自分のほうをしげしげと見ていた彼女の美しさを、乾治は10年経った今でも、鮮明に思い出すことができるという。
やがて曲芸団が町から去り、乾治は猿の面倒を見ていた彼女とも会えなくなってしまう。
しかし、彼は少しも悲しくなかった。
なぜなら、そのときにはすでに、家の中に好みの女性がいたから。
「おさだ」という名のその女中さんは、年齢は20歳くらい。
とても賢そうな目と、きりりと結んだ口元と、痩せた体とが、曲芸団にいた女性とよく似ていた。
おさだは、いつでも澄ましていて、乾治が女中さんたちの部屋に行って、変な踊りを踊ったりして道化を演じても、げらげら笑うようなことはしない。
このため、乾治はおさだを笑わせることを諦め、おとなしくて思慮深い子どものように、彼女の後ろにくっついていた。
あるとき、おさだと二人きりになった乾治は、この頃、彼女が元気のなかったことを思い出し、「お前、何か悪いことをしたのじゃないかい?」と尋ねる。
彼からの思いがけない言葉に、「えっ」と驚いた彼女は、やがてしくしくと泣き始めてしまった。
狼狽した乾治が、「悪いことなんてしてないよね」と声をかけると、おさだは「乾ちゃんはいいやはねえ」と言って、乾治の小さな両手をしっかりと握りながら、涙を流し続けたのだった。
四 周太郎の経歴
乾治の父である大村周太郎は、M町からは少し離れた、寂れた古い町にある老舗の紙屋の次男。
彼は24歳になったときに、県下でも名高いM町の大村家から「養子に入らないか?」という相談を受けた。
手伝っていた実家の店の仕事の単調さに、飽き飽きとしていた周太郎は、即座にこの話を了承。
こうして、大村家に婿養子としてやってくることになった。
名家の家長となった彼は、本名の「正二」は軽薄な名前だと感じ、「周太郎」へと改名すると、大村家の家屋の改装にも取りかかる。
こうして周太郎は、大村家のなかでの勢力を伸ばしていったのだった。
また彼は、妻の妹の旦那として、実の弟を大村家に迎え入れる。
しかし、この弟には酒乱の悪癖があり、酔うと自分の妻を殴ったので、すでに2人の女の子が生まれていたものの、彼を離縁することにした。
このことを申し訳なく感じた周太郎は、続いて、妻の妹に遠い親戚筋の男をあてがう。
この男はとても優しい人で、やがて夫婦の間には、2人の女の子が生まれた。
しかし、まもなく彼は日清戦争に徴兵され、戦死してしまう。
こういうことがあったので、妻の妹は今後、一生独身でいることに決め、周太郎は彼女を保護してやることを心に誓った。
さて、それから20年経った今では、周太郎と妻の間には、5人の男の子と3人の女の子が生まれている。
さらに彼は、かねてから憧れていた県議会議員にも当選し、次は国政に進出しようと目論んでいた。
また、この頃には周太郎の名は県内に知れ渡り、花柳界にも出入りしていた彼は、蝶子という愛人を作り、近隣のK市の家に彼女を住まわせている。
この頃の周太郎は、「金さえやれば、世の中の人たちは、どんな無理なことでも許してくれる」と考えていたのだった。
五 愛人のおさだ
乾治が気に入っていた女中さんのおさだは、大村家の主人である周太郎を一目見たときから、頼もしい人だと感じていた。
しかし、おさだは、この感情を恐ろしいものだとして、誰にも悟られぬよう隠している。
そんな彼女に、とある大事件が起こった。
それは冬が近づきつつあった、ある秋の日のこと。
周太郎から、火鉢の中身を持ってくるよう命じられたおさだは、それを部屋の床に広げられていた着物の生地の上に落としてしまう。
きれいな生地に穴を開けてしまったおさだは真っ青になったが、周太郎はまったく怒らずにこう言った。
「お前、どの柄が良いと思う?良いのを1つお取りよ。お前と娘たちに買ってきたのだけれど。今焼けたのは、どれもあんまり良い柄じゃないじゃないか」
この言葉を聞いたおさだは、体を震わせて、周太郎の膝の上で子どものように泣きじゃくった。
その後、彼女は周太郎の新しい愛人となり、K市内の庭に高くて太い栗の木が生えている家をあてがってもらうことになる。
周太郎はおさだのところへ週に一度は訪れたが、決して泊まってはいかない。
このため、おさだは周太郎のいない間、ひとりで寂しく過ごしていた。
やがて春になり、衆議院議員選挙に立候補した周太郎は忙しくなって、おさだの家からさらに足が遠のいてしまう。
実はこの頃、おさだは周太郎の子を妊娠していたのだが、孤独の寂しさからか、彼女の体は衰弱してしまっていた。
そうこうしているうちに、周太郎は衆議院議員に当選。
しばらくして、やっと家にやって来た周太郎に、おさだは自分が妊娠していることを打ち明けた。
そこで周太郎は、出産に必要なものをすべて用意することを約束したものの、それから数日後、政務のために上京してしまう。
その後、おさだのもとに、周太郎からこんな手紙が届く。
「家族とお前のことで言い争いをした。その結果、気の毒だけれど、お前との縁を切らねばならなくなった。ただ、金はお前の望む額を出すから、遠慮なく言ってほしい。なお、妊娠中の子供は、当方に欲しがっている者がいるので、お渡しするように」
おさだはこの手紙を読んだとき、卒倒してしまった。
その日の深夜、おさだは、なんとか無事に男の子を出産するも、彼女は「この子は、誰にも渡さない」と心に誓う。
それから1週間が過ぎた、ある暑い日の午後。
おさだは、「周造」と名付けた我が子が眠る横で、まどろんでいた。
そこで悪夢を見た彼女が跳ね起きると、布団の上に1通の封書と1枚の紙切れが置かれている。
この手紙は、周太郎の別の愛人である蝶子からのもので、「あなたの子どもをもらい受けることになったが、あなたは子どもが生まれても大村に何も報告しないので、こちらから子どもを受け取りに、使いの者を送った」と書かれていた。
さらに、もう1枚の紙切れには、「蝶子様の使い者ですが、あいにく眠っていらっしゃったので、無断で子どもを連れて帰ります」とメモ書きされている。
事態に気がついたおさだは、その場で倒れて気絶。
しばらくして起き上がった彼女は、正気を失っていた。
六 周太郎亡き後
それから3年後、周太郎は東京のとある病院で、肺結核のために亡くなる。
周太郎の葬式が盛大に行われた翌日、乾治は父の居間にあった本棚の前にいた。
そこで乾治は、周太郎の日記を発見する。
パラパラとページを捲ると、「さだ宅訪問。蝶宅宿泊」と書かれていた。
これを見た乾治は、「父の愛人だな」と勘づく。
また、その日記には、「さだ狂う」という言葉も綴られていた。
翌春、乾治はK市の中学校へ主席で入学する。
このとき彼は、寄宿舎に入るのを嫌がって、家長となった長男にせがんで、遠い親戚の山田家に下宿させてもらうことになった。
ある日、その山田家の一人息子である繁雄と沼に魚釣りに行った帰り道で、乾治は繁雄からこんなことを教えてもらう。
「乾ちゃん、この家は乾ちゃんのお父さんの愛人の家だったんだよ」
「そうかい、今は誰が住んでいるの?」
「きっと、どこかの会社員だろ」
乾治はその言葉を夕靄のなかで聞き流しながら、太くて大きな木が覆い被さるトタン屋根が、夕食を炊く煙にぼかされている風景を見て、底知れぬ平和を感じていた。
そのとき彼は、父の日記にあった「さだ狂う」の文字を思い出していたのにも関わらず。
『無限奈落』の登場人物
大村乾治
- 物語の主人公で、太宰自身がモデル
- 大村周太郎の4男
- 中学3年生の17歳で、山田という親戚の家に下宿している
- 頭がよく、大村家の自慢の種になっている
- 頭と鼻の大きい、醜い顔をしている
大村周太郎
- M町一の大金持ち
- 太宰の父、津島源右衛門がモデル
- もともとは、寂れた古い町にある老舗の紙屋の次男坊だった
- 大村家に婿養子として迎え入れられた
- 県議会議員を務め、後に衆議院議員にも当選
- 複数の愛人を抱えている
- 肺結核で亡くなった
乾治の従姉(いとこ)
- 乾治の母の妹の子ども
- 小学校へ通う男の子がいるが、いまだに変な噂を立てられている
- 周太郎と関係を持っていたらしい
金公
- 大村家に仕える、使用人の男性
- 背が高くて色の黒い女中さんと白昼堂々、逢引している
浅公
- 大村家に仕える、使用人の男性
- 金公と女中さんが会っているところを、乾治に見せる
おさだ
- 大村家に仕える使用人の女性
- 年齢は20歳くらい
- 姓は高杉
- 後に周太郎の愛人となる
蝶子
- 周太郎の愛人
- もともとは芸者をしていた
山田繁雄
- 中学生になった乾治が下宿している、山田家の一人息子
- 年齢は27,8歳
- 風貌は、小柄の女性のような弱々しい美男
『無限奈落』における注目ポイント
ポイント1. 実の父の悪行を告発
『無限奈落』に登場する「大村家」は、太宰の生家である「津島家」と家族構成が一致します。
さらに、個別の登場人物について見ていくと、乾治は太宰と、周太郎は太宰の父である源右衛門と、経歴がほとんど同じです。
以上のことから、『無限奈落』が、津島家をモチーフにしていることは、誰が見ても明らかです。
さらに、この物語では、周太郎が金にものを言わせて非道な行いをしており、太宰の「実の父の悪行を告発してやる」という強い意図が感じ取れます。
ポイント2. 高校生だった太宰のウブさ
『無限奈落』では、「性」に対して早熟な乾治の様子が描かれています。
しかし、作中に性に関する露骨な描写は見られません。
実は、『無限奈落』を書いた頃の太宰は、高校生でありながら、芸者遊びにハマっていました。
彼はその場で、「男女」のことを知り、『無限奈落』の執筆に生かそうとしたものと思われます。
それにも関わらず、「性」に関する具体的な描写をしなかったことには、太宰のウブさが感じられます。
『無限奈落』の考察
なぜ、太宰は「実の父の悪行を告発する」という、衝撃的な内容の作品を発表したのか。
私はその理由を、「太宰は、なんとかして売れたかったから」だと推測しています。
太宰は今でいうところの、「炎上商法」に手を出したのではないでしょうか。
というのも、当時の太宰は、同級生の上田重彦が書いた作品を読んで、その出来に衝撃を受けており、「彼には負けたくない」という思いがありました。
そこで太宰は、手っ取り早く自分の作品を目立たせる手段として、当時流行していた「プロレタリア文学」に目を付けます。
このプロレタリア文学とは、簡単にいうと、左翼思想を広めるため、「労働者」にスポットを当てて書かれた作品のことです。
太宰は、この「プロレタリア文学ブーム」に乗っかって、プロレタリアの対極にいる、ブルジョア(資本家)である、自分の父を貶めるかたちで、自分なりの「プロレタリア文学」を創作しました。
そして、自らが立ち上げた同人雑誌を、左翼組織の小集団を意味する「細胞」というワードを含んだ「細胞文藝」というタイトルにして、さらに「プロレタリアの雰囲気」をまとわせたうえで発表したのです。
実際のところ、太宰の父の津島源右衛門に愛人がいたことは確かなようですが、この『無限奈落』に描かれるほどの悪行をしていたのかは、定かではありません。
これは推測ですが、太宰は物語をよりドラマティックに仕上げるため、少なからぬ脚色をしていたのではないか、と私は思います。
以上をまとめると、太宰は父親がすでに亡くなっているのをいいことに、有ること無いこと書いて、この作品を目立たせようとしたのではないか、というのが私の考えです。
『無限奈落』を読む方法
太宰の学生時代の作品は、新潮社から出版されている『地図―初期作品集―』という文庫本に多く収録されていますが、この『無限奈落』は、未完に終わったからか、入っていません。
このため、『無限奈落』を読むには、下記の「決定版 太宰治全集 1巻 初期作品」を手に入れる必要があります。
ただし、この本は高額なため、『無限奈落』のみを読みたい場合には、「決定版 太宰治全集」を所蔵している図書館で閲覧することをおすすめします。
図書館の定めるルールの範囲内であれば、コピーすることも可能です。
まとめ
本記事では、『無限奈落』が執筆された背景やあらすじ、注目ポイントなどを紹介しました。
なお、記事を執筆するにあたっては、以下の書籍を参考にしています。
- 『評伝 太宰治〈上・下〉』相馬正一.津軽書房,1995
- 『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治.新潮社,1983
- 『太宰治の年譜』山内祥史.大修館書店,2012
- 『太宰治大事典』志村有弘・渡部芳紀.勉誠出版,2005
それぞれの書籍の概要については下記の記事にまとめていますので、ご興味のある方は、併せてご覧ください。
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— コカツヨウヘイ|元司書のライター (@librarian__y) September 5, 2023