「蜃気楼」は、太宰治が中学生の頃に、自らが中心となって立ち上げた同人雑誌です。
本記事では、「蜃気楼」の概要や雑誌名の由来、各号で発表した作品などを紹介します。
「蜃気楼」の概要
「蜃気楼」は、大正14年(1925年)の11月に、当時は中学3年生だった太宰治が中心になって立ち上げられた、月刊の同人雑誌です。
紙面の構成から表紙絵まで、太宰が自ら手がけていました。(※表紙絵は、大正15年5月号と昭和2年1月号のみ、太宰以外が担当)
太宰は、この「蜃気楼」を立ち上げるにあたり、弟の礼治や下宿先の若夫婦など、気心の知れた人のみに参加を呼びかけています。
これは、「蜃気楼」の前に立ち上げた「星座」という同人雑誌が、仲間割れで廃刊になってしまった反省によるものです。
「蜃気楼」の会費は、原稿用紙3枚までは50銭、4〜6枚のときは1円と決められていましたが、不払いが多く、結局、印刷・製本に要する費用の大半を太宰が負担していたようです。
「蜃気楼」の同人
「蜃気楼」には、同人として下記の方々が参加していました。
- 津島修治(太宰治)
- 津島礼治(太宰の弟)
- 豊田雄一・のぶ子(下宿先の若夫婦)
- 中村貞次郎(太宰の中学の友人。以下、同じ)
- 金沢成造
- 桜田雅美
- 工藤竹三郎
- 外崎乾二
- 越浪義博
- 平山四十三 ほか
「蜃気楼」という雑誌名の由来
「蜃気楼」という雑誌名は、当時の太宰が好んで読んでいた芥川龍之介の、『侏儒の言葉』という作品に出てくる、下記のフレーズが由来だと思われます。
幻滅した芸術家
或一群の芸術家は幻滅の世界に住している。彼等は愛を信じない。良心なるものをも信じない。唯昔の苦行者のように無何有の砂漠を家としている。その点は成程気の毒かも知れない。しかし美しい蜃気楼は砂漠の天にのみ生ずるものである。百般の人事に幻滅した彼等も大抵芸術には幻滅していない。いや、芸術と云いさえすれば、常人の知らない金色の夢は忽ち空中に出現するのである。彼等も実は思いの外、幸福な瞬間を持たぬ訳ではない。
『侏儒の言葉』芥川龍之介
太宰は「蜃気楼」の大正15年2月号から、芥川の『侏儒の言葉』を模した、『侏儒楽』という作品を連載するのですが、この『侏儒楽』でも「蜃気楼」というフレーズが下記のとおり登場します。
アッ蜃気楼が…… 彼等のうちの一人が海のかなたを指さして叫ぶ。『オーー』皆がこれに応じる。蜃気楼ーー始めのウチはボーとして居る。併しだんだんハッキリして来る。それは暖い田舎家である。そしてその中から楽しげな笑声がもれて来るような気がする。なつかしく、麗しく、又気高く大海原のマンナカに超然として輝いて居る蜃気楼ーー見て居る彼等の眼は皆、讃頌の念に輝いて居る。彼等は今、この蜃気楼がまだまだ消えて呉れねばいいと思って居る。皆そう思って居る。彼等は少しでも永くその蜃気楼を見て居たかったから。
『侏儒楽』については、下記の記事で詳しくお伝えしていますので、ご興味のある方は併せてご覧ください。
以上のことから、太宰は憧れの「文学」という世界を、今はまだぼんやりとしか見えない「蜃気楼」になぞらえ、雑誌名を付けたものと考えられます。
なお、芥川も「蜃気楼」という言葉を気に入っていたのか、太宰が同人雑誌「蜃気楼」の最終号を出した昭和2年(1927年)に、『蜃気楼』のタイトルで作品を発表しています。
芥川の『蜃気楼』は、下記の文庫本に収録されていますので、ご興味のある方は読んでみてください。
「蜃気楼」の各号
「蜃気楼」は、大正14年(1925年)〜昭和2年(1927年)の間に、下記の11冊が刊行されました。
- 創刊号
- 大正14年11月12月合併号
- 大正15年1月号
- 大正15年2月号
- 大正15年4月号
- 大正15年5月号
- 大正15年6月号
- 大正15年7月号
- 大正15年10月号
- 大正15年11月12月合併号
- 昭和2年1月号
各号について、詳しく見ていきましょう。
創刊号
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.50
『温泉』と『犠牲』という2つの作品を発表。
▼それぞれの作品の詳細については、下記の記事をご参照ください。
大正14年11月12月合併号
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.50
『地図』という作品を発表。
▼作品の詳細については、下記の記事をご参照ください。
大正15年1月号
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.50
『負けぎらひト敗北ト』という作品を発表。
▼作品の詳細については、下記の記事をご参照ください。
大正15年2月号
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.50
『侏儒楽』と『私のシゴト』という2つの作品を発表。
▼それぞれの作品の詳細については、下記の記事をご参照ください。
大正15年4月号
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.50
『侏儒楽』と『針医の圭樹』という2つの作品を発表。
▼『針医の圭樹』の詳細については、下記の記事をご参照ください。
大正15年5月号
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.50
『侏儒楽』と『癌』という2つの作品を発表。
▼『癌』の詳細については、下記の記事をご参照ください。
なお、この号では、普段は表紙絵を描いている太宰が、ほかの人にデザインを任せています。
大正15年6月号
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.51
『傴僂』と『将軍』という2つの作品を発表。
▼それぞれの作品の詳細については、下記の記事をご参照ください。
大正15年7月号
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.51
『哄笑に至る』という作品を発表。
▼作品の詳細については、下記の記事をご参照ください。
大正15年10月号
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.51
『モナコ小景』という作品を発表。
▼作品の詳細については、下記の記事をご参照ください。
なお、この号で創刊1周年を迎え、記念に写真を撮っています。
▼「蜃気楼」の同人たちと一緒に撮った写真。後列の右から2番目が太宰。
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.17
大正15年11月12月合併号
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.51
『怪談』という作品を発表。
▼作品の詳細については、下記の記事をご参照ください。
昭和2年1月号
出典:『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治,新潮社,1983,p.51
『名君』という作品を発表。
▼作品の詳細については、下記の記事をご参照ください。
この号では、普段は自ら表紙絵を描いている太宰が、デザインをほかの人に任せています。
また、太宰は編集後記で、「四月号から又始めたいと思って居る」と書いたものの、結局、この号で「蜃気楼」は廃刊となりました。
まとめ
本記事では、太宰が立ち上げた「蜃気楼」という同人雑誌についてお伝えしました。
なお、記事を執筆するにあたっては、以下の書籍を参考にしています。
- 『評伝 太宰治〈上・下〉』相馬正一.津軽書房,1995
- 『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』太宰治.新潮社,1983
- 『太宰治の年譜』山内祥史.大修館書店,2012
- 『太宰治大事典』志村有弘・渡部芳紀.勉誠出版,2005
それぞれの書籍の概要については下記の記事にまとめていますので、ご興味のある方は、併せてご覧ください。
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